元禄絵図では、集落と本行寺は海岸からはなれた山中にあった!

江戸時代に描かれた元禄絵図があります。
その内の一つ、大隅国の絵図には、口永良部島が描かれています。測量したのか、目視によるのか、今日の島の地形がかなり正確に描かれており驚かされます。地図からは、集落と法華宗の寺であった本行寺(ほんぎょうじ)が海岸でなく山中にあったように読み取れます。
地図にある「集落と本行寺の場所」は、言い伝えられてきた「元村」集落ではないかと推測できます。今の前田集落の山側にあったと伝わる「元村」は、1832年の新岳の大噴火で、集落が壊滅し、人々は今の本村集落(南の入り江、口永良部港あたり)に移り住んだこと、また本行寺も噴火により海岸近くに移されたことなどが、地図からも裏付けられました。
前田集落の奥(山側)には墓石が残るなど、集落の痕跡があることからも、元禄絵図の記載と符合するのです。
さらに元禄絵図で興味深いのは、「番屋が峰」の山頂には、異国船遠見番所が描かれています。


元禄図絵の大隅の国の図
元禄大隅の国

野元氏が整理した元禄図絵の口永良部島の図(文字情報を記載)

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