密貿易の拠点だった

島は島津藩の公的な密貿易(幕府に隠れて)の拠点港でした。帆船時代には、南に向かう良港だったからです。北風を避けることができました。南風を避けるには、屋久島の一湊港が使われました。二つの港は、対となっていたのです。
野元新市氏が密貿易の考察をしました。

大正8年、川上久良が口永良部島を探査した絵図が残されています。川上によると、島には英国人が住む館があり幕末の島津藩の密貿易の拠点であったことが記述されています。野元新市氏の論文を紹介します。

この記事を書いた人

えらぶ年寄り組ポータルサイト管理