天然の良港
口永良部島は、ひょうたん型をしています。くびれた入り江は、帆船時代には南へ向かうためのなくてはならない避難港でした。ここから南には、悪天候で逃げ込める港がない上に、黒潮が流れ船乗りたちには難所(七島灘と呼ばれた)だったのです。
西郷隆盛は、奄美大島・龍郷に遠島された帰途に、悪天候のために口永良部島に避難し風待ちをしました。風呂を使った逸話や、西郷どんが座った縁石が残っています。
西郷どんだけでなく、流罪にされた村田新八、名越左源太も島に立ち寄っています。江戸時代の初め、薩摩藩が琉球に侵攻した際には軍船が寄港しています。
古くから、口永良部島の本村港は、南への拠点港だったのです。古文書や海図には「口永良部島から何里」と記載されています。
薩摩藩の密貿易の拠点
薩摩藩は、幕府に隠れて密貿易をしました。口永良部島の本村港は、屋久島の一湊港と一対になり、当時、日本で一にを争うような密貿易港だったのです。