名越左源太と島津又七

島津又七の義兄であった名越左源太は、「お由良騒動」にかかわり流罪となった。遠島の往路に、天候不良のため18日間、島に滞在した(1850年4月)。 左源太は 口永良部島の様子を書き記し、島や集落を描いたスケッチを残しています。野元氏は又七と 左源太 のかかわりを検証されています。野元新市氏の投稿です。

名越左源太筆による、北側から見た口永良部島。湯向温泉とみられる温泉の記載がある。湯向温泉の所在が、良く知られていたことが分かり、興味深い。野元論文には、 左源太 による島のスケッチが紹介されている。

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