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口永良部島ポータルサイトは、リンク集です。

Email:erabu.info@gmail.com

〒891-4208屋久島町口永良部島1232-3

 口永良部島は こんな島です

口永良部島を知っていただくために、ホームページ「口永良部島ポータルサイト」を立ち上げました。「口永良部島ポータルサイト」は、ホームページやブログ、書籍、エッセイを紹介することで、皆さんに口永良部島を理解してもらおうと考えています。



口永良部島の歴史年表や、集落の歴史年表をご覧ください。

島に移住したKさんが執筆した「火山島に棲む」は、読み応えのあるエッセイです。口永良部島の魅力の一端を理解していただけるでしょう。
また、島に嫁いだK子さんの
「口永良部島便り」にも島の詳しい記載があります。

島の活性化に取り組む若者が作った口永良部島未来創造協議会の
FaceBookでも島の情報が得られます。

えらぶ年寄り組による口永良部島の紹介です。


 口永良部島の 名前の由来

口永良部島は、通称はエラブ(永良部)と呼ばれています。
名前の由来ですが、永 里岡氏の「口永良部島の地名考」によると、

「えらぶ」の「えら」は、江良・恵良・永良・鰓の意味ではなく、江浦(えら)の意味である。ぶは部でなく夫である。夫は江野夫・野夫・漁夫の略で、軽輩・海人・・・・の意味。
「えらぶじま」は江浦夫島(えらぶじま)で、入江の辺に住む海人に由来する島名であるから、「えらぶじま」と「えやぶじま」は音転ではなく、異音同義の島名である。
だから、「くちえらぶじま」は
口江浦夫島(くちえらぶじま)で、
近いところにある海人の島
を意味する島名である。

詳しくは、この頁の最下段で


国際照葉樹林サミット と 口永良部島


2014年6月6日~8日、屋久島町宮之浦で、第2回の国際照葉樹林サミットが開催されました。
サミットの目的は、照葉樹林の保護や利用に関する活動や、研究を報告し、情報交換することで、東南アジアから中国、韓国、日本に広がる照葉樹林の文化や暮らしを守ろうとするものです。
口永良部島にも照葉樹林が広がっています。

サミット2日目には、口永良部島を代表して貴舩 森さんが、島の現状を報告しました。とても好評で、参加者からの評判は上々でした。また、「えらぶ年寄り組」は、玄関のホールにポスターを貼り出して、「年寄り組の活動」や口永良部島を紹介しました

口永良部島には、広大な照葉樹林が広がっています。

島の照葉樹は、なんといってもスダジイです。一周道路からもスダジイが目立ちます。山麓にはスダジイの他にホルトノキ、タブノキが多く、中腹からは、ヤブツバキ、7、8合目(標高では500mあたり)から上にはヒサカキの森が広がります。スダジイの多くは、戦後伐採され、今ある樹林は2次林です。

  
口永良部島で見られる照葉樹*は、
スダシイ、マテバシイ、タブノキ、ホルトノキ、モチノキ、クロガネモチ、コバンモチ、ツバキ、モッコク、オガタマノキ、ユズリハ、シキミ、サカキ、ヒサカキ、ハマヒサカキ、ヤブニッケイ、ハマビワ、ヤマビワ、フカノキ、シャリンバイ、トベラ、モクタチバナ(バカギ)、タイミンタチバナ、クロキ、イボタ・・・・などがあります。照葉樹林では、樹の下は日陰になるので、シダ、ラン、ウラシマソウ、センリョウ、マンリョウなどが茂っています

*照葉樹(常緑の広葉樹で葉の表面の照りが強い樹木)

エコパークと口永良部島

サミットでは、町長が
「屋久島町は、ユネスコ・エコパークの延長を申請すること、エコパークの申請には口永良部島も加える」・・・と宣言しました。

7月初めには、屋久島町ではエコパーク推進協議会(仮)が発足し、口永良部を代表として、貴舩 森さんが出席する予定です。島民説明会も開かれるはずです。国立公園の指定の時のように、用途別の地区割り(ゾーニング)の必要があり、島民の話し合いが必要になります。


島の皆さんとのお約束島の展示が

口永良部島が、リニューアルオープンした環境省の「屋久島世界遺産センター」で紹介されています。
センターに入ってすぐの立体模型には、口永良部島が。島の地形と島を囲む海の様子が良く分かる展示です。


映像や多くの写真が使われて、口永良部島の特徴が分かりやすく説明されています。驚くほどに、広いスペースが割り当てられています。


鹿児島県のホームページにも島の案内があります。

新規のページを掲載しました。島の歴史年表です。

島の皆さんとのお約束島の統計

少しずつですが充実させます。


公的施設や商店など

 施 設

内  容

役場

医療

学校

公民館

発電所

郵便局

商店

事業者

温泉

屋久島町出張所、1名常駐

町立の診療所、医師(非常駐)、看護師1名常駐

小・中学合併校(複式授業)

2ヵ所

九州電力~300kw    

局員3名

JA食料品店(預金受付あり)、酒屋1軒、ガソリンSS

荷役・運送会社1、民宿8

4か所



口永良部島の土地利用 
 (1974年) 屋久高の調査   1ha=1万平方m( 100m×100m )=約1町歩

 利用の区分  ヘクタール ha  
山岳
松杉林
原野
牧野
農耕地
その他
557
1403
744
650
150
300
  3804

十条製紙(当時)所有は、1211ha




人口の推移



図 人口の変化(明治から現在まで)
高度成長の時代に、多くの島民が島を離れた。現在は、微減が続いている。

2013年3月現在(平25)の人口138人で、65歳以上の割合は、39.9パーセントです。



年齢階層別の人口分布

                 推定人口142人(2013年12月)

  
「以上」とした数値は年齢を示し、数値は%を表します。
  個人情報保護の観点から、推定人口と推定年齢をもとに作成しました。




図 小学校の開校から現在に至る在校生と卒業生

2013年(平成25年)現在  
小学校 児童数 11人、中学校 生徒数 11人
(そのうち留学生数 7人)
教職員:11人)


島の皆さんとのお約束フェリー太陽

フェリー太陽は、私たちの暮らしを支える生命線です。
莫大な金額の国や県の補助と、屋久島町の予算が使われています。


フェリー太陽の運行(2012年)     屋久島町船舶係から

   宮之浦➔口永良部島  口永良部島➔宮之浦
乗客数 人   2408  2347
 車両 台  674
 668
 貨物 トン  1448  998


欠航:  35日
ドック: 27日
就航率: 83%


島の皆さんとのお約束島の歴史


口永良部島の歴史年表を作りました


第2次世界大戦後、島で取り組まれた生産活動です。元データは、歴史年表にある記述を参考にしました。

島の生業の変遷






横軸は西暦は人口変化




子牛生産の変遷


出典:鹿児島大学国際島嶼教育研究センター,南太平洋海域調査研究報告 
   No. 51(2011年 3 月)から転載。

 




島の皆さんとのお約束島の行事


Iターン島民に嫁いだK子さんの「口永良部島便り」に、年間の行事の詳しい紹介があります。また、日々の行事の記載があります。








島の皆さんとのお約束文化遺産

口永良部島には、城跡や住居跡など、文化遺産が残っています。住居跡に閑しては、島民K子さんのブログに記載があります。


島の皆さんとのお約束自然と生き物


島民K子さんの「口永良部島便り」に詳しい記載があります。

また、「えらぶ年寄り組」が、島の自然の調査や保護活動を行っています。


口永良部島には、サンゴの海が広がっています。温泉の湧く入り江には数頭のウミガメが居ついています。口永良部島のネット水族館を楽しんでください。





国指定の天然記念物
口永良部島が所在地とされて指定されたものに、エラブオオコウモリがあります。
他の地域が所在地とされている国指定の天然記念物で、口永良部島にも生育するものでは、

オキチモズク
インドオオイシソウ
 

などがあります。

(おわび:タカツルランを天然記念物としておりましたが誤りでした。おわびいたします。)


鹿児島県が指定した天然記念物

所在地が口永良部島とされるものでは、

ミシマサワガニが鹿児島県の天然記念物に指定されました(2013年4月)。


右の写真と下記の囲み記事は、鹿児島県の教育委員会のホームページから転載しました。












ミシマサワガニ

種類:天然記念物
生息地:黒島,口永良部島,宇治群島地域定めず

ミシマサワガニは,2011年12月に新種として発表されたが,それまでは「島嶼のサワガニ」の名称で鹿児島県レッドデータブック(鹿児島県,2003)に準消滅危惧種として掲載されていた。
本種は,黒島,口永良部島,宇治群島にのみ生息し,これら島嶼間の地史的関係を考慮する上で重要な情報を得ることができ,また,サワガニ類の分類学的研究において種分化過程等を解明する上で学術的に貴重なものである。
地域を定めず指定する。

 


島民による チャレンジ

若い人たちだけでなく、島に暮らす私たちがこぞって望むのは、「もう少し島民が増えて欲しい」ことです。
それも、子どもを持つ若い夫婦や、これから家庭を持とうとする若いカップルを増やしたいと願っています。このままだと、学齢期の子どもたちが居なくなるのではないか、そうなると学校がなくなる、学校がなくなると若い人たちが島に住む基盤が失われ、島の人口は加速的に減少する・・・・と心配するからです。
学童と保護者、教員を加えると40名近く(2013年1月現在)がいなくなると、年寄りも島を離れることになるでしょう。「光の島*」になることを私たちは恐れています。*<尾瀬あきら著のコミックス、小学館、2001年刊>
若い人たちに、島に住んでもらうには「働き口を造らなければ」とさまざまな試みがされてきました。島民は増えて欲しいけれど、それが簡単でないのも、ここに原因があります。


島の皆さんとのお約束新たな活動

そんな口永良部島ですが、老いも若きも元気です。
2000年代の後半、危機意識を持った、島民は、さまざまの新たな活動を始めました。
その一つが、2007年にスタートした、「口永良部島活性事業組合」で、島の熟年リーダー層と若者が力をあわせたプロジェクトです。
カライモやガジツの栽培です。

2011年には、「口永良部島未来創造協議会」が、数名の若手島民により発足しました。離島活性化事業の担い手として、また、若者に島に住みついてもらう取り組みを進めるために立ち上げられたものです。

これとは別に、2006年に島にIターンした山地竜馬さんが始めた事業活動(一般社団法人へきんこの会、2010設立)があります。
口永良部ひょうたん島プロジェクト




島の暮らしの移り変わりinformation


平成の「島の暮らし」については、島民K子さん「口永良部島便り」に詳しい記載があります。

島の歴史については、 島の歴史年表を、作成しました。
今後、
「古老に聞く」を掲載予定です。
昔を語れる古老が、息子や娘と暮らすために、島を去ったり、病気で島を離れられたりすることが多くなりました。
古老たちがお元気なうちに、記録にとどめるようとする活動が始まっています。まとまった順に掲載します。



 永 里岡 氏による 口永良部島の名前の由来(くわしく)

永 里岡 氏の「口永良部島の地名考」から抜粋した口永良部島の名前の由来を下記に示します。

 口永良部島の口は、沖・奥の対語で近いの意味である。永良部島は七島灘を航行する舟人たちが、船出の天候をえらぶじま(択島)の意味ではない。また、永良部の文字は、発音にあてたに過ぎない。
だから口永良部と言う島名の由来は、やはり方言を手掛かりにして、解明するしかない。
屋久島の人びとは、いまも口永良部島を方言で、やっとしま、えやぶ・やーぶと呼んでいる。この方言のいずれかに永良部という島名の由来を解く、その鍵が秘められている筈であるから、先ず「やっとしま」という方言島名から解明を試みたい。
「やっとしま」の「やっと」は、「やいと」の転訛で、お灸の方言だから、「やっとしま」は灸島のことである。
「えやぶ」は「えやぶじま」の略称である。「えやぶ」の「え」は江で入江の略、「やぶ」は野夫の長音で、江野夫で、入江の辺りに住んでいる海人に由来する島名である。
以上の概要から、「えらぶ」と言う島名を解く手掛かりは、「えらぶ」の印象が濃いが、「えらぶ」は「えやぶ」のラ行転呼音ではない。だから、ここでは地名辞書に収録されている伊良(いら)・江良(えら)と、方言の「いのら」・「えのら」を手掛かりにすることにした。
伊良(いら)は方言の入ノ浦(いのら)の略、江良は方言の江ノ浦(えのら)の略だから、いずれも入江・浦・・・・を意味する地名用語である。
「えらぶ」の「えら」は、江良・恵良・永良・鰓の意味ではなく、江浦(えら)の意味である。ぶは部でなく夫である。夫は江野夫・野夫・漁夫の略で、軽輩・海人・・・・の意味。
「えらぶじま」は江浦夫島(えらぶじま)で、入江の辺に住む海人に由来する島名であるから、「えらぶじま」と「えやぶじま」は音転ではなく、異音同義の島名である。
だから、
「くちえらぶじま」は口江浦夫島(くちえらぶじま)で、近いところにある海人の島を意味する島名である。
また、口江浦夫島の江浦夫は、浦夫・浦子・浦人・・・・等と同義で、いずれも入江・浦辺に住んでいる海人を意味する用語である。
これに永良部・恵良部・恵羅部など、多様の文字を当てたのは、島名の伝承が専ら言葉で行われていたから、その伝承過程に於いて当初の意味が、次第に曖昧になっていった証である。



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大沢夕志・大沢啓子ご夫妻、Yuko Takahashiさん、野元嗣由さん、後藤利幸さん、大久保政英の皆さま、ご厚意に感謝いたします。