口永良部島を知っていただくために、ホームページ「口永良部島ポータルサイト」を立ち上げました。「口永良部島ポータルサイト」は、ホームページやブログ、書籍、エッセイを紹介することで、皆さんに口永良部島を理解してもらおうと考えています。
口永良部島の歴史年表や、集落の歴史年表をご覧ください。
島に移住したKさんが執筆した「火山島に棲む」は、読み応えのあるエッセイです。口永良部島の魅力の一端を理解していただけるでしょう。
えらぶ年寄り組による口永良部島の紹介です。
口永良部島は、通称はエラブ(永良部)と呼ばれています。
名前の由来ですが、永 里岡氏の「口永良部島の地名考」によると、
「えらぶ」の「えら」は、江良・恵良・永良・鰓の意味ではなく、江浦(えら)の意味である。ぶは部でなく夫である。夫は江野夫・野夫・漁夫の略で、軽輩・海人・・・・の意味。 「えらぶじま」は江浦夫島(えらぶじま)で、入江の辺に住む海人に由来する島名であるから、「えらぶじま」と「えやぶじま」は音転ではなく、異音同義の島名である。 だから、「くちえらぶじま」は口江浦夫島(くちえらぶじま)で、 近いところにある海人の島 を意味する島名である。 詳しくは、この頁の最下段で。 |
国際照葉樹林サミット と 口永良部島 |
サミット2日目には、口永良部島を代表して貴舩 森さんが、島の現状を報告しました。とても好評で、参加者からの評判は上々でした。また、「えらぶ年寄り組」は、玄関のホールにポスターを貼り出して、「年寄り組の活動」や口永良部島を紹介しました。
口永良部島には、広大な照葉樹林が広がっています。
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*照葉樹(常緑の広葉樹で葉の表面の照りが強い樹木)
エコパークと口永良部島 |
口永良部島が
ユネスコ・エコパーク
として認められました。
ユネスコが実施する生物圏保存地域(通称:ユネスコエコパーク * )事業に関して、文部科学省などが、「屋久島エコパーク」の延長申請と、口永良部島も含める拡張申請を、ユネスコに推薦していました。これを受けてユネスコは2016年3月20日に、ペルーで開催されていた人間と生物圏(MAB)国際調整理事会で、「屋久島・口永良部島エコパーク」を認めることを決定しました。 *英名:Biosphere Reserves(BR)
施 設 |
内 容 |
役場 医療 学校 公民館 発電所 郵便局 商店 事業者 温泉 |
屋久島町出張所、1名常駐 町立の診療所、医師(非常駐、月に3回ほど医師が来島)、看護師1名常駐 小・中学合併校(複式授業) 2ヵ所 九州電力~300kw 局員1名(簡易郵便局です) JA食料品店(預金受付あり)、酒屋1軒、ガソリンSS1軒 荷役・運送会社1、民宿9 4か所 |
利用の区分 | ヘクタール ha |
山岳 松杉林 原野 牧野 農耕地 その他 |
557 1403 744 650 150 300 |
計 | 3804 |
年齢階層別の人口分布 |
宮之浦➔口永良部島 | 口永良部島➔宮之浦 | |
乗客数 人 | 2408 | 2347 |
車両 台 | 674 |
668 |
貨物 トン | 1448 | 998 |
「えらぶ年寄り組」が、島の自然の調査や保護活動を行っています。
口永良部島には、サンゴの海が広がっています。温泉の湧く入り江には数頭のウミガメが居ついています。口永良部島のネット水族館を楽しんでください。
国指定の天然記念物エラブオオコウモリが、口永良部島に生息しています。
写真提供:毎日新聞社 野田 武さん 2017年5月撮影
島に来られた際は、是非とも夜空を見上げてください。巨大なエラブオオコウモリの飛翔を、見ることができます。日没後40分~50分がチャンス。ワシントンヤシやガジュマル、アコウ、桑の木などを見上げてください。
エラブオオコウモリは、口永良部島とトカラ列島でのみ生息しています。1975年2月に、国の天然記念物として指定されました。また、環境省のレッドデータブックでは、絶滅危惧種IA(CR)に指定されています。
口永良部島の島民有志は、エラブオオコウモリを守るために、調査・保護活動を行っています。
他の地域が所在地とされている国指定の天然記念物で、口永良部島にも生育するものでは、
オキチモズク インドオオイシソウ |
などがあります。
(おわび:タカツルランを天然記念物としておりましたが誤りでした。おわびいたします。)
鹿児島県が指定した天然記念物
所在地が口永良部島とされるものでは、
ミシマサワガニが鹿児島県の天然記念物に指定されました(2013年4月)。
右の写真と下記の囲み記事は、鹿児島県の教育委員会のホームページから転載しました。
ミシマサワガニ 種類:鹿児島県 天然記念物 生息地:黒島,口永良部島,宇治群島地域定めず ミシマサワガニは,2011年12月に新種として発表されたが,それまでは「島嶼のサワガニ」の名称で鹿児島県レッドデータブック(鹿児島県,2003)に準消滅危惧種として掲載されていた。 本種は,黒島,口永良部島,宇治群島にのみ生息し,これら島嶼間の地史的関係を考慮する上で重要な情報を得ることができ,また,サワガニ類の分類学的研究において種分化過程等を解明する上で学術的に貴重なものである。 地域を定めず指定する。 |
若い人たちだけでなく、島に暮らす私たちがこぞって望むのは、「もう少し島民が増えて欲しい」ことです。
それも、子どもを持つ若い夫婦や、これから家庭を持とうとする若いカップルを増やしたいと願っています。このままだと、学齢期の子どもたちが居なくなるのではないか、そうなると学校がなくなる、学校がなくなると若い人たちが島に住む基盤が失われ、島の人口は加速的に減少する・・・・と心配するからです。
学童と保護者、教員を加えると40名近く(2013年1月現在)がいなくなると、年寄りも島を離れることになるでしょう。「光の島*」になることを私たちは恐れています。*<尾瀬あきら著のコミックス、小学館、2001年刊>
若い人たちに、島に住んでもらうには「働き口を造らなければ」とさまざまな試みがされてきました。島民は増えて欲しいけれど、それが簡単でないのも、ここに原因があります。
島の歴史については、 歴史年表を、「えらぶ年寄り組」が作成しました。
永 里岡 (なが さとおか)氏の「口永良部島の地名考」から抜粋した口永良部島の名前の由来を下記に示します。
口永良部島の口は、沖・奥の対語で近いの意味である。永良部島は七島灘を航行する舟人たちが、船出の天候をえらぶじま(択島)の意味ではない。また、永良部の文字は、発音にあてたに過ぎない。 だから口永良部と言う島名の由来は、やはり方言を手掛かりにして、解明するしかない。 屋久島の人びとは、いまも口永良部島を方言で、やっとしま、えやぶ・やーぶと呼んでいる。この方言のいずれかに永良部という島名の由来を解く、その鍵が秘められている筈であるから、先ず「やっとしま」という方言島名から解明を試みたい。 「やっとしま」の「やっと」は、「やいと」の転訛で、お灸の方言だから、「やっとしま」は灸島のことである。 「えやぶ」は「えやぶじま」の略称である。「えやぶ」の「え」は江で入江の略、「やぶ」は野夫の長音で、江野夫で、入江の辺りに住んでいる海人に由来する島名である。 以上の概要から、「えらぶ」と言う島名を解く手掛かりは、「えらぶ」の印象が濃いが、「えらぶ」は「えやぶ」のラ行転呼音ではない。だから、ここでは地名辞書に収録されている伊良(いら)・江良(えら)と、方言の「いのら」・「えのら」を手掛かりにすることにした。 伊良(いら)は方言の入ノ浦(いのら)の略、江良は方言の江ノ浦(えのら)の略だから、いずれも入江・浦・・・・を意味する地名用語である。 「えらぶ」の「えら」は、江良・恵良・永良・鰓の意味ではなく、江浦(えら)の意味である。ぶは部でなく夫である。夫は江野夫・野夫・漁夫の略で、軽輩・海人・・・・の意味。 「えらぶじま」は江浦夫島(えらぶじま)で、入江の辺に住む海人に由来する島名であるから、「えらぶじま」と「えやぶじま」は音転ではなく、異音同義の島名である。 だから、「くちえらぶじま」は口江浦夫島(くちえらぶじま)で、近いところにある海人の島を意味する島名である。 また、口江浦夫島の江浦夫は、浦夫・浦子・浦人・・・・等と同義で、いずれも入江・浦辺に住んでいる海人を意味する用語である。 これに永良部・恵良部・恵羅部など、多様の文字を当てたのは、島名の伝承が専ら言葉で行われていたから、その伝承過程に於いて当初の意味が、次第に曖昧になっていった証である。 |
大沢夕志・大沢啓子ご夫妻、Yuko Takahashiさん、野元嗣由さん、後藤利幸さん、大久保政英の皆さま、ご厚意に感謝いたします。
島の皆さんとのお約束自然と生き物